はじめまして
心の声を取り戻し、“わたし軸”を育てるカウンセラーの紬-tsumugi-と申します。

このカウンセリングルームは、
誰かを優先して生きることを頑張ってきた人、やさしいからこそ傷ついてきた人が
“やさしいままで、自分を大切にできるようになり”
“自分の人生を自分で選ぶことができるようになる”
ための場所です。
かつての私は
- 人に気を遣いすぎて疲れてしまう
- 本当は嫌なのに断れない
- いい子でいようとして、本音を飲み込んでしまう
そんな子でした。
でも、当時の私は、それが“普通”だと思っていたんです。
このプロフィールでは、そんな私がどうやって
「やさしいままで、自分を大切にして生きる」ようになったのかを綴っています。
もし今、あなたが少しでも生きづらさを感じているのなら、ぜひ読んで見てください。
母を悲しませないために“いい子”で生きた幼少期

私は3人きょうだいの真ん中、長女として生まれ、幼少期は母の実家で母方の祖父母、両親、兄、私、妹の7人家族で暮らしていました。
両親は共働き、特にキャリアウーマンだった母は仕事で忙しく、多くの時間を祖父母と共に過ごし、祖父母と父の不仲により私が4歳の頃に母の実家を出てからは歳の近い妹の面倒を私が見てきました。
そして私はこれまで
「おとなしくていい子ね」
「手がかからなくて助かるわ」
そう言われながら育ってきました。
その言葉は褒め言葉のようですが、私にとっては
“いい子でいなきゃいけない”
というプレッシャーと、本音を押し込める呪いに変わっていきました。
私が5歳くらいのとある夜、理由はわからなかったけれど、夜ご飯を作っていた母が突然私と妹の前で泣き崩れたことがありました。
私は不安で怖くてたまらなくなり、その出来事があってから
「母を悲しませたくない」
「困らせたくない」
そう思うようになり、母の期待に応え続け、母を笑顔にすることが当たり前の日々が始まりました。
「私がしっかりしなきゃ」
それが幼い私が無意識に背負った役割でした。
“できる子”で居続けることで愛されようとした学生時代

学生時代は勉強も部活も頑張り、失敗は見せず、母の自慢の娘を演じ続ける日々でした。
「嫌われたくない」
「その場の空気を壊したくない」
そんな思いから、いつも自分の気持ちは後回しにして生きてきました。
友人の頼み事は断れず、苦手なことにも付き合い、傷ついても笑ってやり過ごし、
人の顔色を伺って相手に合わせることが当たり前。
「これくらい我慢すればいいよね」
「みんなが笑顔でいられるならそれでいい」
そうやって自分に言い聞かせながら、
気づけば「なんで私ばっかり…」そう感じることが増えていきました。
空気を読んで友人に合わせようとしているのに、心の距離は縮まらない。
それどころかどんどん離れていくばかりで、孤独を感じる毎日。
表面では笑っていても、この頃から心はいつも「苦しいよ」と悲鳴をあげていました。
家では“学生生活をエンジョイしている私”でいることで母を安心させようとし、
心が休まる時間はありませんでした。
尽くしても満たされない恋愛と、父の余命宣告で心が壊れていった20代

恋愛でも同じでした。
「私が我慢すればうまくいく」
そう思って尽くし続けた結果、いつの間にか “大切にされない関係”の中にいました。
同棲していた彼のモラハラ、浮気、お金の使い込み、話し合い拒否…
本当はつらいのに
「こんなことで悩むなんて恥ずかしい」
「迷惑かけたくない」
そう思って誰にも頼れず、「助けて」が言えないまま、一人で抱え込み、占いに依存し、借金までつくり、心も身体もボロボロになっていました。
追い打ちをかけるように、20代半ばに一番の理解者であった父の大病発覚し余命宣告を受けました。
この世の終わりのように感じ、絶望と悲しみで毎日のように泣いていました。
けれど、「少しでも父と一緒にいられる時間を作りたい」
そう思い、毎週末は県外の実家に帰省することを決めました。
この時私は心のどこかで「こんな時くらい、支えてくれるよね」と、彼に期待していましたが
返ってきたのは「お前が実家に帰ったら俺の飯どうなるの?」という言葉でした。
その瞬間、プツッと何かが切れた音がし、スーッと気持ちが冷えていく感覚になったのを覚えています。
今までだったら
「こういう人だから仕方ないよね」
「悪気はないんだよね」
そうやって自分を納得させてきましたが、もう、そう思うことができませんでした。
ようやく「あ、私はこの人に大事にされてないんだ」
そう気づいたんです。
本当は「大丈夫?」ってたった一言、言ってほしかった…。
その出来事をきっかけに、「私って、どんな人生を生きたいんだっけ」と思い
初めて“自分の人生と向き合うこと”を選びました。
我慢をやめた時、少しずつ人生が変わり始めた

それから少しずつ
「私はどうしたいの?」
「本当はどう感じているの?」
というように、自分の気持ちを大切にすることから始めました。
それまではずっと、
- 「嫌われたくない」
- 「相手を困らせたくない」
- 「空気を悪くしたくない」
そんな気持ちを優先して、自分の本音を後回しにしてきました。
本当はつらくても
「これくらい我慢しなきゃ」
「私が合わせればうまくいく」
そうやって、自分を納得させ続けていたんです。
でも少しずつ、
- 疲れている時は無理をしない
- 嫌だったことを「嫌だった」と認める
- 相手を優先する前に、「私はどうしたい?」と自分に問いかける
そんな小さなことから変えていきました。
そしてまず、“彼を最優先にすることをやめる”ことを決め、行動に移しました。
いきなり大きく変えることはできませんでしたが、小さなことから自分の気持ちを大切にする選択を積み重ねていきました。
そうしていたところ
「もう一緒にいるのは無理だから出て行って」
そう彼から切り出されました。
知り合いもいない土地でお金もないまま家を追い出され、
新居探しも、引っ越しも全部ひとり。
不安や怖さもありました。
でも新居に荷物を運び入れている時、ふと気づいたんです。
「あれ…意外となんとかなってる」
誰かに合わせ続けなくても、私はちゃんと生きていけるんだ。
そう思えた瞬間でした。
そこから私は、静かに自分の人生を取り戻し始めました。
自分の気持ちを言葉にして整理していく中で、私はずっと、
「嫌われないように」
「迷惑をかけないように」
“いい子”として生きることで、自分を守ろうとしていたことにも気づきました。
そして、“やさしい人ほど、自分を後回しにしてしまう”
そんな心の仕組みを知った時、
「私が弱いから苦しかったわけじゃなかったんだ」
と、初めて思えたんです。
これまで当たり前だった「我慢することで成り立つ関係」ではなく、
“自分を大切にしながら築ける関係”を選べるようになっていきました。
やさしさを手放さなくても、自分を大切にしていい。
今は、そう思えるようになりました。
やさしいままで、自分の人生を選択できる居場所をつくる今

現在は、誰かの理想を生きるという役割を背負い、「助けて」が言えずに苦しんできた方が
“やさしいままで、自分の人生を自分で選べるようになる”
そんなカウンセリングを届けるために活動しています。
私は精神科病院のソーシャルワーカーとして10年以上働いてきました経験があります。
精神科の現場では、
「迷惑をかけたくない」
「家族に心配をかけたくない」
そうやって、本当は限界なのに、
一人で抱え込み続け、限界を迎えてしまう方々とたくさん出会ってきました。
一見しっかりして見える人ほど、 周りを優先しすぎて、誰にも頼れず、
“助けて”が言えないまま苦しんでいることも少なくありません。
また、ご家族も
「がんばっているのにうまくいかない」
「誰にも相談できなかった」
そんな葛藤を抱えながら苦しみ、相談の場で涙を流す姿もたくさん見てきました。
いろんな人と関わる中で私は、苦しんでいる人ほど
「誰かに頼ってよかったんだ」
と思える場所が必要なのだと感じるようになりました。
だからこそ私は、
- 「おとなしくていい子」と言われて育ってきた人
- 人の顔色を伺いすぎて疲れてしまう人
- 本当は嫌なのに断れない人
- 「私ばっかり」と感じながら我慢してしまう人
- 自分の本当の気持ちが分からなくなっている人
- 助けてが言えず、一人で抱え込んでしまう人
- やさしさゆえに傷ついてきた人
そんな方が、
安心して本音を話せて、
“やさしいままで、自分を大切にできる”
そんな場所を作りたいと思っています。
私は以前、
「我慢できる私」でいることが、人に愛される方法だと思っていました。
でも本当は、自分を後回しにしている限り、どこかで苦しくなってしまう。
だからこそ今は、
やさしさを失わなくても、自分を大切にしていい
誰かの期待に応えて生きるのではなく、自分の気持ちを大切にして生きていい
そのことを、一人でも多くの人に伝えていきたいと思っています。
もし今、
「このままでいいのかな」
「本当は変わりたい」
そう感じているなら、 その気持ちは、もう変化の始まりです。
あの時、 私が自分の気持ちに向き合わなかったら、今の私はありません。
ほんの少しの勇気で、人生は少しずつ変わっていきます。
あなたも、 誰かの理想を生きる人生ではなく、
“あなた自身の人生”を生きていい。
私は、そのための居場所をつくって待っています。